『面接の達人』の功罪




 『面接の達人』(中谷彰宏)は昔から売られている。ただしここ数年のアマゾンの評価を見るとボロクソだ。よくある批判は、「面接は自己PRと志望動機が大事といいながら、その作り方を書かず突き放している」。僕個人としては詳しい作り方を書けば同工多数になり、面接官から嫌われ落とされると思う。とはいえ一生懸命考えても出来が悪ければ不採用になるだけ。ある程度は書いてほしいところだ。

 『面接の達人』にはいいところもある。とくに本にあった「何がしたいか何が出来るかを考えること」は入社後も役に立つ。僕はIT系の仕事をしているが、この業界は変化が激しい。主流となるハード、技術がどんどん変わる。与えられた仕事をこなすだけの悪い意味でのサラリーマンが不要な人間扱いされるケースを何度も見てきた。ただし会社も社員にやりたい仕事などさせず目の前にある仕事をさせ、変化がおきてから慌てるケースも見た。それでいて変化に対応すべく社員に教育費を出そうともしない。何がしたいか何が出来るかを考えておかないと取り残されてしまう。
 また同工多数を避けることを説くがこれも正しい。就職難が続くなか、学校や就職塾の指導、マニュアルは学生の自己分析を強く訴えている。皮肉にも、それが学生の返答を同工多数にしているそうだ。学生時代に力を入れたことのトップがサークル活動。がんばったところ、成功談、失敗談も似たり寄ったりになる。日に何十人もの学生に会う面接官は学生が皆同じに見えるといっている。
 まるで昔の美大受験予備校みたい。かつては「どばた調」「新美調」なるタッチを学生に教えていた。はじめのころはこのタッチで美大に合格できた。ところが数年するうちに複数の美大受験予備校が同じ指導をしたため、受験生のデッサンが似たり寄ったりになってしまった。美大は学生の数だけ個性がほしいので、「どばた調」「新美調」を嫌いだした。入試内容も美大受験予備校の裏をかこうところころ変えてしまった。かえって、どんな入試内容にも対応すべく美大受験予備校で訓練を受けた人間でないと合格は難しくなったそうだ。
 今のままでは、就職塾なしには内定が取れない異常事態になる。
 また、探してくるコネでは役に立たない、親が大企業の社長か次期社長、国会議員でなければコネは通用しないというのも本当。ちなみに『オサムシに伝えて』によれば作者の手塚るみ子は父親の手塚治虫のコネで就職しようとしたとはっきり書いてある。こちらとしては参考にはなるが、作者はコネ入社で読者の反発を受けること考えなかったのかな。ともあれ、広告と放送を受けたが、軒並み落ち、やっと広告代理店に就職できたそうだ。なお、コネ就職なので父親を通じて不採用の理由は聞けたそうだ。理由は本当かはわからないけど筆記試験の出来だという。出版社を受ければ話はちがうだろうが、親が手塚治虫でも、コネで楽に採用が決まるわけではない。

 ここまではほめてきたが、問題点に触れてみよう。

 『バイブル編』は毎年「何年度版」と銘付けされているが中身はずっとかわっていない。初版にくらべネット時代に合わせた加筆があったあとは変わっていない。古本を買ったほうが安上がり。
 実は初期の版には、マスコミの筆記試験についてはこうある。マスコミの常識問題はどこが常識問題だという難しい問題が出る。これはそのとおり。だが面接が重視されるから対策はとらなくて大丈夫とあった。あのー、広告や放送はそうかもしれないけど、新聞と出版は筆記試験を突破しないと面接が受けられないんだけど。複数の読者からおかしいと指摘されたか、数年後から記述が変わった。今度は中学受験の家庭教師をすればいいとのこと。要はあのパズルやクイズじみた入試問題を扱えば、マスコミ受験対策になるといいたいのだ。でも、世の親が子供の受験用の家庭教師に選ぶのはブランド校の学生だけ。ブランド校の学生だろうが教えるノウハウは持っていない。ありがちなのが自分がかつて受けた授業法を最高のものと考え、生徒に合わせた授業をしないこと。家庭教師になれば、最初に生徒の実力と弱点を洗い出してカリキュラムを作り、夏休みまでに決めた志望校の入試傾向を徹底的に調べさらなるカリキュラムを作る必要がある。大学生になると方程式に頼り、算数で解く方法を忘れているころだろう。国語と算数を教えるのに手一杯で理科と社会はお茶を濁すことにならないか。実力の低い子を有名校へいかせようと躍起になる親もいるのに、対応できる?
 どう考えても就職活動の片手間に受験用の家庭教師をこなせるとは思えない。「新聞ダイジェスト」の巻末の問題やマスコミ受験塾に頼ったほうがいい。

 『問題集女子編』では「ギャンブルをしますか」という質問はビジネスのセンスを見ているから、やっていると答えるよう勧めている。これはでたらめ。面接官のおじさんは保守的。なので「ギャンブルをしますか」と訊くときは、この女の子は遊んでいるか確かめているだけ。「はい、やってます」と答えようものなら即不採用。ビジネスのセンスを見なら別の質問をする。
 この質問については『面接官の本音を知る本』(サンドケー出版局)でも僕と同じ批判をしていた。この本は特に女子学生のために書かれている。一問一答式なのでこの本に頼ると同工多数になるので、面接官に嫌われる恐れはある。それでも面接官は特に女性の受験者に対しいかに保守的かをこれでもかと語っている。そんな保守的な面接官ばかりではないと思いたいが、これはこれで参考になる。
 ほかにも、志望動機の回答例として「会社のCMを見て」と書いてある。これはとんでもない。日本の企業の九割強はCMを流していない。CMを流している会社の面接官もCMで志望会社を決める軽い奴を嫌う。

 よく批判されることだが、作者の中谷さんには人事の経験はなく、リクルーターとして多くの学生に会った体験だけで本を書いてしまった。(それでも『面接の達人』以前に出版された一問一答式の面接マニュアルよりすぐれてはいる)例えば、面接官が「最後に何か質問は」と訊くのは気を緩めたところで本音を探る罠か熱意を探るためと書く。そりゃ、あまり有給や残業時間ばかり訊けば、「こいつの関心はそれしかないのか」と面接官は思うだろう。だがアマゾンでも評判のいい『面接官の本音』は「最後に何か質問は」と訊くのは言葉どおりの意味しかないと説く。ちなみに『面接官の本音』は『面接の達人』を意識して書いてある部分が多い。

 面接官中谷彰宏が採用したい人物像を強く押しすぎているうえ、自分の詳しくない分野も勢いで書いている。その自信家ぶりを嫌う人は多い。消しゴム版画家の故・ナンシー関もエッセイで中谷さんをボロクソに書いていた。中谷さんが小説を書いたときも、「あの中谷が書いたものだから大したことがない」と読みもせずに決め付けた人が数人いた。僕も彼の小説を読んだことがないので、作品の出来のついては評価できない。

 そして『面接の達人』にかぎらず面接対策本ではある前提で書いてある。その前提とは面接官は人事のプロであること。学生の一挙一動を見逃さず、一つのことで学生を決め付けるようなことはしないとある。逆に面接官向けのマニュアルを見ると、一つのことで学生の人物像を決めつける危険をいましめている。この人は○○出身なのでこういう性格だろう。この人の血液型は○型なのでこういう性格だろう。一つのことで相手を評価することを心理学ではハロー効果という。中谷さんにしても体育会が嫌いと見えて、『面接の達人』やそのほかの本でも体育会の人間を柔軟な発想に欠けると決め付けてている。
 とまれ、学生も就職活動を始めて一、二ヶ月で気づくが、面接官は人事のプロどころか素人が多い。面接官も自分を人事屋とは思っていないから、学生がどんな情報を仕入れているか本屋の就職本コーナーを調べることなどしない。『面接の達人』が発売され何年かたっても、「こんな本があったんですか」「これで面接でどんなことを訊けばいいのかわかった」という声もあるぐらいだ。評判のいい『面接官の本音』ですらスキルの低い面接官について少しはふれているが、ほとんどは経験豊かな面接官が出てくる前提で書いてある。

 僕の体験で特に脱力系の例を挙げる。ある小さな会社を訪問したところ、担当者は人に心を閉ざしているのかずっと眼をつぶっていた。僕に関心もないようなので、自己アピールで「ダブルスクールをしてます」といったことろ、やっと眼を開け一言。「なあにそれ?」 幼児語かよ。他の部署でもてあまされて、人事に押し込まれたのがみえみえだった。
 ある会社の面接では三人の面接官が矢継ぎ早に質問を投げかけた。はい・いいえで答えられる質問ばかり。「何かの団体に入っていませんか」と何度も訊いてくる。右翼・左翼・カルトを想定してるのだろうが、学校も家族も団体だ。問題のある団体に入っていたとしても、「はい」というわけがない。僕は内心うんざりしながらも、「いいえ。入っていません」と繰り返した。すると面接官が思い出したように「あなたの中学のときはどうでしたか」と訊いた。質問が漠然としているので「普通にやってましたが」と答えると、面接官は「君の中学の近くに住んでいたんだけど、あの中学の生徒は素行が悪いと評判でね…」。この会社の人間は人を否定的にしか見ることが出来ないのか! 履歴書にあるアピールポイントには一切触れなかった。この会社ははなから減点評価なのだろう。何度も同じ質問をするのは疑っているというより、何を訊いていいかわからないからだろう。でももうたくさん。この面接で僕はこの会社を見限った。
 また、ある会社説明会で社長は「個性的な人がほしい」というのに、出てきた新入社員は「学生時代は勉強しないで遊んでばかりいました。遊びはテニスを少し、スキーを少し」とういう見た目は好青年だった。前後の雰囲気から察すると、人事は自分の御しやすい学生ばかりを採用し、社長も採用したい人物像を具体的に人事に伝えてはいないようだった。
 もっとひどいと、面倒くさい雑用を押し付けられたとばかりにふてくされ、人の話の途中に口を挟んでケチをつける人間。露骨に嘲笑をあびせる人間。面接なのに独演会を始め気持ちよく説教をする人間もいた。さすがにここまでいくと面接官は社内でも嫌われ者なのだろう。まともな対応をしてくれる人も多いが、面接官としてはプロには見えない人も多かった。

 形のある人事部を持つ会社を受験したときも感想は同じ。「君の志望動機は甘い!」と面接官から高飛車に否定された。はい、実際甘かった。ただ、この面接官は何かと議論をもちかけ、こちらを否定した。履歴書にあるアピールポイントには一切触れなかった。おそらく他部署で活躍したプライドの高い面接官で、「自分にはみんなわかっている。相手のよさを認めれば負け」とでも思っていたのだろう。このタイプは自分と似たタイプにばかり高い点をつけやすい。
 ある会社では副社長が面接官。質問がどうでもいい世間話ばかり。志望動機も、この会社でやりたいことも訊かない。アピールも出来ない。的を射た質問をしてくれと内心いらいらした。結局、不採用。以後、僕はこの会社の製品は買っていない。この会社にふれた本によれば、この副社長は数秒で採用を決めるワンマンとのこと。第一印象と質問に答えるときの話し方、仕草、雰囲気で合否を判断したのだろう。あらかじめ考えた志望動機を朗読されるより、僕の素の姿をみたいという考えはあったのかもしれない。だが、僕としては真剣に話を聞いてもらえなかった悔しさがある。この会社は落とした人にもファンになってもらいたいとみえ、ホテルで面接をおこない、給仕のコーヒーサービスつきで、おみやげにクッキーまでくれた。金の無駄。落とした人がファンになるのは費用の多少とは無縁。面接でどれだけ真剣に訊いたかで決まる。

 いよいよ大企業の話だ。もちろん全ての大企業を受験したわけではないし、できるわけがない。だが大企業の面接ですら素人が紛れ込んでいるきらいがあった。ある会社の面接では何を答えても面接官の反応がなく会話のキャッチボールが出来なかった。沈黙が続き、中央の面接官が隣に「君、何か訊くことはない」とふった。すると相手は「…僕はいいよ」。

ふざけるな!


 これは面接官四人学生四人の集団面接。僕一人だけなら見限られたとも思えるが、他に学生がいるのだ。面接官にノウハウもやる気がないのが明らかだった。結果、「慎重な考査の結果ご期待にそえない結果になりました」と手紙が来た。あれのどこが慎重な考査だ! ただあの会社を受けた学生のなかには一次面接から最終面接まで釣りとプロレスの話だけで内定を取った人がいる。ほかにも二件面接官が真剣に聞いてくれた話がある。面接官の能力差が大きい。つまり会社は面接官に教育をしていない、教育してもそのアフターフォローはしていないことがわかる。

 ほかにも本で読んだ話だが、あるコンピュータ関連の出版をしていた会社の出来事。学生がコンピュータ以外の本を出版したいといった。面接官は「うちはコンピュータの啓蒙のために出版している。啓蒙の必要がなくなれば部署は廃止するんだ。あなたの企画の実現は難しい」との旨をいった。翻訳すればお「前のやりたい企画なんて絶対無理だ」となる。ところがその年のうちにその会社は新規事業で映画の配給を初め、当の出版部門ではコンピュータの啓蒙と無縁のマンガの月刊誌を出した。面接官が会社の方針を知らなかったのだ。「コンピュータの啓蒙の必要がなくなれば」と当分おこりそうもないことまでいうのは「どいつも人気部署ばかり志望しやがって」という反発があったのか?
 コンピュータ関連の出版をし映画の配給を手がけた会社といえば今は亡きア○キーしかないだろう。あの会社の雑誌を読んだら、編集者が互いの部署が何をやっているかわかっていないようなことを書いていた。大企業病だ。

 ここまで極端なことはなくても、一面接官の判断で合否が決まったりすることは珍しくない。
 なぜこんなことがおきるか。大企業の一次面接には大勢の学生が来るので人事の人間だけでは人手が足りない。そこで各部署の入社十年程度の人間、つまり新卒の直属の上司になる世代を面接官にする。ところが人事は面接官にきちんと教育することが少ない。社内では人事は売り上げにならない仕事という思いが強いか、面接官としての研修を行う時間が工面できないようだ。なるべくして面接官は自分の部下を取るつもりで面接をする。面接官が営業の人間なら、学生に営業として勤まるかばかりをみる。勤まらないとみれば他部署では通用するかを考えずに落とす。経理は経理でおなじことをする。就職部と就職情報誌のおかげで、学生は人手であることを嫌い人材になりたがる。でも現場で働く面接官がほしいのは人手。
 『面接の達人』の影響か、「御社にはこういう欠点があるので、入社したら改善してみたい」といった学生がいた。ところが面接官は「不満があるなら受けにくるなよ」と思ったそうだ。これは面接官の器量が小さい。だが自分の部下を選ぶタイプの面接官は自分に御せる学生を好む。

 『面接の達人』は「具体的な企画を持って行け」と説く。ここは正解とも間違いともいえない微妙なところがある。昔からその年々の学生向け就職情報誌にあるトピックスをやってみたがる学生はいくらでもいる。バブルの頃ならリゾート開発。バブル崩壊後はマルチメディア。そして面接官からやりたいことについて研究や勉強をしているのかつっこまれると、みなしどろもどろ。そんな軽い学生よりはやりたいことがしっかりしている学生のほうが頼もしい。
 中谷さんは自分の就職活動のときにどの業種を受けようが「映画を作りたい」といったという。評価する面接官もいたが、「そんなのやらないよ」と落とした会社もあった。その落とした会社ものちに新規事業で映画を手がけたという。面接官に先見の明がなかったとこの書きかただ。先述のアス○ーの面接官が学生の企画を否定したのに、その年の内に手がけた話もあるよう、結構ある話かもしれない。学生は面接官を会社の代表と思いがちだが、そんなことはない。会社は面接官に社外秘ですらない会社のビジョンなど教えていない。大企業の会社説明会で聞いた会社のビジョンについて学生が面接官に質問したら、面接官が知らなかったことすらある。
 自由な発想を大切にする会社なら話も違うだろう。だが普通は学生がやりたい企画を声高に主張すれば、面接官は我が強く社員にならないと判断する。そもそも『面接の達人』はバブルのころに出た本だ。当時、一部の大企業がリゾート開発や新規事業に浮かれていた背景がある。業種・企業体質・面接官の考えにもよるが、作者と同じようにやりたい企画を押し通そうとすれば落とされやすい。『面接の達人』では面接で腕立てや歌を歌うパフォーマンスを否定している。これは当然だ。パフォーマンスをやって受かった人がいたとしても、他の部分で評価されたのであり、パフォーマンスが評価されたわけではないと書いている。それと同じように、「映画を作りたい」という中谷さんを採用した会社も映画つくりの企画を評価したわけではなく、別の面を評価したのだろう。さもなくば採用をあせり誰でもいいから入れてしまえと考えている会社だ。
 また中谷さんは当時広告代理店の製作畑の人間だった。製作畑の仕事だからといって感性だけでできるものではない。特に企画はメンバーにわかりやすい言葉で伝えなくてはならない。そのためか『面接の達人』もマスコミを受ける言語型人間むきの物となっている。そして中谷さんは面接をオーディションにたとえている。残念ながら、訓練を受けていない面接官は面接をオーディションどころか、お見合いそれも採用してやるとばかりの一方的なお見合いととらえている。そんな面接官を相手にやりたい具体的な企画を熱く語っても、相手はめんくらうだけ。お見合いの席で収入と支出の計画や人生設計を熱く語るようなもの。中谷さんが勤めていた博報堂の面接では通用しても、すべての会社、面接官に通用するわけではない。 自分のために会社を利用するのが『面接の達人』のスタンスだ。だが、単に人手がほしい面接官や大手の下請けに徹している企業にはこのスタンスは嫌われる。作者自身の就職活動の成功体験はどの業種どの会社どの面接官に通じるわけではない。

 これを読んでいる人は「でもバブルがはじけてから、入社してから何をしたいか学生の具体的なキャリアプランを訊く大企業が増えてきた」と思うかもしれない。実際、学生が満足に答えられないと、「研究不足」「主体性がない」と不採用になる。これは不景気のため採用する学生を減らすためにハードルをあげただけのこと。具体的なキャリアプランを訊くわりに、配属は新卒の希望を考慮しない。新卒は士官候補生のつもりで入社したのに、兵卒の責任と待遇が待っている。やりたい仕事は数十年後にできるかもしれない心細さ。新卒は「こんな仕事をするために入社したのではない」とショックを受ける。

 面接官を経験不足、先見がない、度量がないと非難するのは簡単だ。でも現状はそんな面接官を相手に採用を勝ち取らなければならない。
 面接官を教育しない会社を振り返ると、そこの面接官が採用しやすい学生の傾向があった。その面接官の部下として足を使い汗をかき泥まみれになる初々しい人間だ。「どんな社員になりたいか」「うちに入ったら何をしたいか」という質問もこの傾向にのっとったうえで答えなければ評価されない。学生が企画をやりたい、マーケティングをやりたい、新規事業をやりたいとプレゼンをおこなえば、面接官はしらける。その企画に説得力があろうが関係ない。「自分だって好きな仕事なんか出来ないのに、若造にさせるかよ」「こいつの話は理屈っぽくてつまらない」「我が強くて人のいうことを聞かないんじゃないか」「学生風情がビジネスを語っても説得力がないんだよ」こんな評価が関の山。自身の経験では保守的なまたは軍隊的な会社や面接官にその傾向が強い。
 この文を書いた奴は性格がゆがんでいると思うかもしれない。でも『銀のアンカー』(三田紀房)でも同じことをいっている。学生は自分の能力を見てもらいたがるが、面接官が求めるのはとにかく人柄・人柄・人柄。新入社員になれば担当するのは簡単な仕事。面接官は能力よりも人柄を求める。
 僕が学生のころに昔読んだマニュアルには、「面接官は『こんな人と机を並べて働きたいな』と考える」とあった。当時は「そうだろうな」と軽く考えながらも、志望動機と体験と能力を中心にした自己アピールを重視していた。でもスキルの低い面接官は「こんな人と机を並べて働きたいな」との思いを最優先していた。
 漫画ではなく実際の企業の例はどうだといわれれば、『内側から見た富士通『成果主義』の崩壊』を挙げる。この本によれば、人事部は能力のある学生を採用したい。だが各部署に採用したい人物像のアンケートをとると、はたして各部署が望むのは体力と根性! 能力など求めてない。実際に留学経験のある新卒を採用したが、与えるのは簡単な仕事ばかり。能力を活かした仕事を与えると年功序列が崩れてしまう。この優秀な新人はやりがいがないので富士通を辞めた。
 また学生に企画力を求める会社にしても、アイデアのすごさよりもわかりやすさを求めるきらいがある。たとえばゲーム会社が新卒に書かせる企画書。学生は斬新な企画のつもり数十ページも書いても、大勢の学生を見なくてはならない担当者はまともに読まないらしい。せいぜい4、5ページのわかりやすい企画書を評価するそうだ。

 もう一度書くと、会社や面接官の考えによりちがいはあるが、面接官の部下として足を使い汗をかき泥まみれになる初々しい人間が評価される傾向がある。最後に「初々しい」と書いたのは実例があるからだ。アナウンサーは競争の激しい採用試験をへても、本番でとちる人が採用されることがある。逆にアナウンサーになりたくて専門学校で勉強しよどみなくしゃべる人が、すれた印象を与え落とされるという話すらある。
 面接官が「字が下手だね」とつっこんでくれば、「そういわれると痛いです」「字の練習をしたいと思います」と答えるのはよくても、『面接の達人』よろしく「でも歌はうまいです」と答えれば、屁理屈をこねるかわいくない奴になる。
 《問題集》は問題点があるし、模範解答を真似する人間がいて同工多数になるおそれがあるので勧められない。だが『面接の達人』もうまく使えば武器にもなる。それでも今まで書いたよう問題点もあるので独力では無理だろう。

 最後に書き加えると、面接のノウハウとは無縁ながら『面接の達人』の末尾にある人事担当者宛のメッセージは同感する。基準にあった学生をノルマ分採用することだけに夢中なサラリーマンが、「いついつまでに連絡がなければ縁のなかったものと思ってください」とすら告げず、不採用にした学生をほったらかしにする例が多い。ふだん広告もしない会社が採用活動という自社を知ってもらう数少ない機会になんで悪い印象を与えるんだ。あのメッセージは他の面接対策本にはないだけに、貴重なメッセージだと思う。



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