行間の読みすぎ



 突然だけど、ここで太宰治生誕百年記念として(大嘘)国語の問題。

太宰治「富岳百景」
 その翌々日であったろうか、井伏氏は、御坂峠を引きあげることになって、私も甲府までおともした。甲府で私は、ある娘さんと見合することになっていた。井伏氏に連れられて甲府のまちはずれの、その娘さんのお家へお伺いした。井伏氏は、無雑作な登山服姿である。私は、角帯に、夏羽織を着ていた。娘さんの家のお庭には、薔薇がたくさん植えられていた。母堂に迎えられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかった。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押を見あげた。私も、からだを捻じ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰写真が、額縁にいれられて、かけられていた。まっしろい水蓮の花に似ていた。私は、それを見とどけ、また、ゆっくりからだを捻じ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った。あの富士は、ありがたかった。

 最後の「あの富士は、ありがたかった」と作者が書いた理由はなんでしょう?
 これは実際に高校の国語教師から問われた問題。

 指された生徒は皆「見合い相手の娘さんの顔を見ることができたから」と答えた。ところが、その国語教師は「そんなのは表面的な解釈だ」という。詳しい説明は忘れたが本当の理由は「自分の心の素直さがわかったから」とのこと。
 後に予備校の試験で「富岳百景」のまったく同じ部分が問題に出た。「あの富士は、ありがたかった」と作者が書く理由を 「自分の心の素直さがわかったから」と書いた。結果は×。解答を見ると「見合い相手の娘さんの顔を見ることができたから」!
 あの野郎、責任取れよ。
 国語教師のいう「表面的な解釈」とは言い換えれば「万人が考える無難な解釈」であり、国語の入試試験ではそれこそが正解なのだ。あの教師は弁が立ち、俺も始めは面白く聞いていた。だが作家のこきおろしが多く、最後はうんざりするようになった。聞けば、歌人の釈超空の弟子だという。なるほど文学者になれなかった劣等感の裏返しか。自分は優れた文学者だ、あるいはそうありたいとの気持ちから、小説の解釈に独自性を加えたがるのだろう。

 ひょっとすると「自分の心の素直さがわかったから」が真の正解なのかもしれないが、太宰治はとうに死んでいるので、確かめようがない。
 実際、作家の野坂昭如の娘は学校で「『火垂るの墓』の作者は、どういう気持ちでこの物語を書いたでしょうか」という宿題を出された。そこで父に聞くと、「締め切りに追われ、ヒィヒィ言いながら書いた」とのこと。作者がそういうのだから間違いないが、先生は困ったことであろう。せめて「『火垂るの墓』の作者はなぜこの題材を選んだか」という宿題にすれば、先生の意図に近くなったことだろう。それだって、「作者が赤ん坊だった妹の世話を疎ましく思い栄養失調で死なせた悔恨」であり、小説にはっきり書いてあるわけではない。

追記
野坂昭如氏の長女は上記の話をデマと否定しました。
https://ameblo.jp/maoyma513/entry-12366622676.html
ありそうな話だったのでずっと信じていた。


 なるべくして、国語の文章読解は試験に引用された部分のみ(つまり本一冊ではない)から、「『作者がどう思っている』かと出題者が考えていること」を道徳的見地から探る論理ゲームになる。問題文以外から情報を持ってきて作者の考えを探るのはもってのほか。
 国語は算数・数学ほどの厳密もないが、図工・美術ほどの自由もない。

 また文章ではなく作品そのものへの扱いが大きく変わったのが椋鳩十の「大造じいさんとガン」。初出は少年倶楽部 昭和16年11月号。少年倶楽部なんて全盛期はのらくろや二十面相の出てくる俗っぽい雑誌扱いだった。これが教科書に載っているのだから、少年ジャンプの作品が教科書に載るようなものだ。1970年ごろ、椋鳩十がどこかの学校で講演したとき教師の半数以上がボイコット。理由は「大造じいさんとガン」には「正々堂々と戦え」と読者を戦争に駆り立てる意図があるとのこと。作品だけ読めば言いがかりだが、初出の少年倶楽部なんて当時軍国主義どっぷりなので真偽はともかくそういう見方もありうる。

 曲解された作品でもっと有名なものにはジョージ・オーウェルの『1984年』がある。戦後、日本の一部知識人には共産主義が理想の体制との思いがあったので、「ジョージ・オーウェルは『1984年』にて共産主義だけでなく資本主義にもおこりうることへの警鐘を鳴らした」と無理を書いていた。そりゃ、資本主義だって全体主義になる危険はある。でも『カタロニア讃歌』と『動物農場』を読めば、ジョージ・オーウェルは共産主義に不信感を持っていたのがわかる。一部知識人に花を持たせても、全体主義やスターリン政権を嫌っているだけで、資本主義にもおこりうることへの警鐘を鳴らしてはいない。

 中国の四書五経のなかの『詩経』も古来から聖人孔子が編纂したとされているので、今では素朴な恋愛の歌とされている詩も王侯を風刺しただの、王侯を敬っているだのと無茶な解釈をされてきた。科挙のためそのトンデモ解釈を正解として憶えなくてはいけないのかな?(詳しい人教えて)
 同じく四書五経の『春秋』も孔子の秘めた思想が入っていることになっていた。その秘めた思想を探り出そうとするのだから、トンデモ解釈はいくらでもできた。

 戦前中国でヒットした歌謡曲「君何日再来」がある。人気の一方、中国ではこの歌は日本への抗戦意識のなくそうとする日本の陰謀だとの見方があった。逆に日本では中国語で「君何日再来」の「君」と「軍」の発音が同じことから、国民党軍の再来を望む歌と正反対の解釈がされた。戦後の台湾では国民党の圧制に対し日本軍の再来を望む歌との解釈がされた。

 京大俳句事件でも特高が「熱い味噌汁をすすりあなたいない」「ホスピタル鏡を朝な女のみがく」なる新興俳句を反戦思想だと言いがかりをつけ、拷問すらおこなった。

 願望や先入観があるとどんなに捻じ曲げた解釈もできる。
 極めつけは『謎とき・坊っちゃん―夏目漱石が本当に伝えたかったこと 』(石原豪人)。
作者の石原先生はカストリ誌、少年誌、少女誌の怪獣や妖怪・怪奇現象などのイラストを手がけ子供たちにトラウマを植え付けたイラストレーター。仕事を全然選ばないのでポルノ誌やホモ雑誌のイラストまで手がけていた。そんな豪人先生の怪著がこれ。なんでも漱石の『坊ちゃん』には腑に落ちない点があるが、登場人物が全員ホモなら説明がつくという。すごすぎっ!



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