かくして私は音楽の授業が嫌いになった(後編)





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音楽の教師なんて学生時代は音楽が大好きだから音大や教育学部に進み教職についたはずだ。だから苦手な子供の心理がわからない。わからないから苦手な子供を教えるノウハウもない。教師自身は音大に入るため血反吐をはくぐらいの修練を積んだとしても、ほとんどの子供は音大にいくつもりはないし、生活と他の科目を犠牲にしてまで音楽に打ち込む理由がない。ここがポイントだ。教師は「音楽を教育」されたが、学習指導要領は「音楽で教育」することを謳っている。

また教師にやる気があり悪意がなくとも「楽しい授業」の押し付けをする。苦手な子供にすればぜんぜんわかんないのに、楽しさを押し付けられますます苦痛になる。一方教師にすれば音楽の苦手な生徒なんて異星人みたいなもの。「こんな楽しいものが何で理解できない。こいつ頭が腐っているのか」と思うだろう。おまけに歌わされる歌も道徳的に選ばれ「夢」「希望」「大空」「はばたく」といったキーワードがちらほら。ただでさえ苦手なのに楽しさを押し付けられるのでうんざりする。
「ピクニック」も今思えば楽しい歌だと思うが、当時はしつけも情操教育も無視した気の短い鬼婆の強制で下手な歌を歌わなくてはならないので「今日はゆかいだー」と歌うときは苦痛だった。ここらへんの事情は国語と同じだ。むしろ「さわると秋がさびしがる」「ちいさい秋見つけた」(どっちもサトウハチロー作詞だ!)など楽しさをちらつかせず詩として美しいものほうが印象に残っている。
もっとも英語や美術の教師だって同じようなものだろうが。例外は数学か。あれは苦手にしている人が多いので数学教師も「楽しい数学の時間だよ」と楽しさの押し売りはしない。

学校教師、塾の教師、家庭教師…およそ人に教える人間がやりがちなのは、かつて自分が受けてきた授業法を一番と思いこむこと。その授業法で上手くいかなくても、

生徒が怠けてる
生徒がバカだから
生徒がふざけてる
生徒が教師をバカにしてる

と決め付ける。生徒に合った処方箋など考えもしない。生徒が「どうすれば成績が上がるか」相談しても「本をいっぱい読め、古文をいっぱい読め、英文をいっぱい読め」というだけ。体育に例えれば運動が苦手な子に「42.195キロ走れ」というようなもの。これはもともと好きな人間がもっと得意になるための方法だ。生徒はやってもできないし、しまいには本当に怠けるけどね。

中学になっても音楽が得意になることはなかった。年に一度の合唱会の時期になるとふだんより早く集まりクラスみんなで練習することになっていた。でも俺はやる気がないのでしょちゅう遅刻していた。合唱会本番でも人の歌を聞くときは、無関心なので退屈で退屈で居眠りしていた。
理科や社会ならつまずいても誤魔化しがきく。公民が苦手でも歴史で点を取り、生物が苦手でも物理で点を取ることができる。でも音楽は数学や英語同様、一度つまづくとその後はまったくわからなくなる。ただ幸運(?)にも中学の授業内容は小学校と本質は同じ。せいぜい歌詞に文語がでてきて曲の格調が高くなる程度。もしソルフェージュなどさせられようなのもなら登校拒否していたことだろう。
ただし人の話を聞くと中学校の音楽では小学校の内容と大きく変わったケースもあるし、音楽の教師が転任し授業のやり方が大きく変わったケースもある。文部省のカリキュラムがあいまいなのか、教師がカリキュラムを守っていないのか。おかげで音楽の授業が苦痛になったという人もいるし、まれではあるが楽しくなったという人もいる。
幸い中学の音楽の教師は苦手な生徒に苦手意識を払拭こそしないが無理強いしなかったし、バカにもしなかった。要はいい意味で俺を無視してくれた。成績は5段階評価で1か2。そして三年生のとき担当教師が変わった。今度の教師はコーラス部を指導しコンクールで高い成績を収めていた。おかげでどんな指導かと冷や冷やした。でもこの教師もできない生徒に無理強いはしなかったので助かった。選択授業の説明会のときも、合唱の授業を担当する彼は「苦手だから挑戦しようする人はやめておいたほうがいい」とありがたく引導を渡してくれた(皮肉じゃないよ)。
余談ながら俺はなんとなく木材加工を選んだ。担当の技術の教師は「いきなり選択授業はじまったのでなにをしていいかわからない」とはっきりいい、だんだん授業に顔出ししなくなった。授業をさぼる教師なんてこいつ以外に会ったことない。でも通知表の評価は3。いったいどこをみて評価してんだ。

小中学校の音楽の授業はかくも悲惨であった。けれどだ。なぜか中学三年生二学期の音楽の成績が3だった。奇蹟だ! 受験前なので評価を甘くしてくれたのかな。まあ音楽嫌いが板につきそんなにうれしくなかったが。

幸い小中学校で音楽鑑賞の感想文を書かされることはなかった。もし感想文を書くとしても「退屈だった、眠かった」と書くわけにもいかず白紙でだして、後で教師の呼び出しをくらうのがせいぜいだったろう。やることは読書感想文と同じ感動の押し売りをいかに上手く処理するかだが。小知恵のついた今なら作品の批判はまちがってもせず、子供らしさを演じ大人びたことを書かず、「感動した。これで人間としての成長のきっかけをつかんだような気がする」との旨を書くところだ。

ここまでさんざんな書き方をしてきたが、音楽の教師だって大変だと思う。底辺校では生徒が騒ぎまともに授業ができないし、自称進学校では「音楽のなんて大学進学の役に立たない」と生徒だけでなく学校まで思っている。むしろ本当の進学校と有名大学の付属校ほうが余裕があり音楽の授業にも理解があるようだ。一方、授業をまじめに受け音楽部に入ったところで音大にいくには不十分。ほとんどの人が満足しない異常事態。

中学卒業後は楽器、歌とは無縁の生活を送ってきた。ところがだ、ずいぶん後ジャズライブの裏方を手伝うようになった。この音楽嫌いの俺がだよ。人が演奏したり歌ったりするのを見ればそりゃかっこいいとは思う。でも思うだけで自分でやりたいとは思わない。それと、驚いたことに演奏者のなかには楽譜は読めないけど演奏はうまい人もいた。メジャーな例ではサッチモも美空ひばりも楽譜は読めない。もちろん、楽譜は読めない人が誰でもサッチモや美空ひばりになれるわけではないのはわかっている。でも音楽の能力って何だろうな。
それとだ、裏方を手伝う関係でアマチュアのライブをみてきた。カントリー・ミュージックでハーモニカをふく人は少しはいた。でもリコーダーをふく人など一人もいない。学校で習った上、音楽が好きな人たちですらリコーダーに魅力を感じない。これは学校の音楽教育の失敗だろう。
そんなある日のこと、ピアノの側にいたときジャズのベーシスト(コントラバスの演奏者)から「音あわせするから。ラの音出して」からいわれた。内心ギクッとした。俺に頼むな! でも他の人はいない。「ボクわかんない」ともいえない。ピアノの鍵盤を眺め、右端からドシラ…、よしこれがラの音だ。ラ・ラ・ラ・ラ…。でもベーシストは満足してくれなかった。「音が高いので1オクターブ下げて」うっ、1オクターブ下か。ラソファミレドシラ。ラ・ラ・ラ・ラ…。やっとベーシストは満足してくれた。ママ、僕もピアノが弾けたよ(違う!)

小学校卒業後ずいぶんたってから聞いた話ではあの小学校の音楽教師は四十代でなくなったらしい。死んでざまあみろとも思わない。そう思えば自分がみっともないから。そのかわり感慨はない。俺には完璧な過去の人だ。
まあ、ペール・ギュント、早春賦、荒城の月…数々の名曲、名歌を知ることができたのは音楽の授業のおかげだ。でもその点については教科書をもとに教えてるのだからどの教師でもいいんだ。だからあの教師に感謝はしない。

追記
この文を書く参考にならないかと情報を探したら『音楽教育の診断と体質改善』(山本弘 明治図書出版)を見つけた。一部の音楽教師がクラブ活動と発表会ばかりに力を入れ、ふだんの授業には力を入れずできない子はほったらかしにする、授業の歌や曲とはかけ離れた名曲を聞かせ、いかにこの曲がすばらしいかと感動の押し売りをする、算数のように具体的なカリキュラムがないので、音楽教師のあいだでは教える相手が六年生でも「担当するそのときが一年生」といっている…。ななめよみしたがありそうな話、共感する話がいっぱいだった。けれどだ、この本は1968年の出版だぞ! 現状は改善されそうにないのか?

ちなみに作者のかかわるサイトはここ。
http://www.chiba-fjb.ac.jp/yamamoto/


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