横山美智子
忘れられた人気作家の悲哀





 趣味で戦前、戦後の少年誌、少女誌を漁っているが、少女誌で何度も見かける作家が何人かいる。
吉屋信子や佐藤紅緑なら今でも有名だが、まったく聞かない名前も混じっている。
名前は横山美智子

横山美智子(よこやま みちこ、1895年(明治28年)?月?日-1986年(昭和61年)9月30日)
は作家、特に戦前戦後の少女小説を多く手がける。本名横山カメヨ(旧姓黒田)。本名黒田カメヨ。
(注)
 『夢をつむぐ』のインタビューには旧姓が黒田とあったので、本名は横山カメヨと思っていた。だがウィキペディアによると結婚後も戸籍上は黒田カメヨとのことなので、修正する。


誕生日は本人がぼかしているためか本によって異なる。
1895年(明治28年)広島県尾道市久保尼寺小路(現在の笠井病院近く)に生まれる。
1908年(明治41年)尾道女子高等小学校(現在の久保小学校)を卒業。
1910年(明治43年)文学を志して上京。
1917年(大正6年)に童話作家の横山寿篤と結婚。
1934年(昭和9年)小説「緑の地平線」が朝日新聞の懸賞小説に当選。
1935年(昭和10年)「緑の地平線」は日活より映画化(前篇10月1日 後編10月9日)され、
この年には文芸作家協会会員になる。

 『少年倶楽部』『キング』では横山美智夫、黒田道夫のペンネームで作品を発表。
 作家活動の傍ら『伸びゆく子供』『こう叱るこうほめる』『現実のこども』など教育関係の本を書いている。
 『よい子強い子』(1939年、文昭社)の一遍「くもとちゅうりっぷ」は戦時中に製作された 古典的な国産アニメ「くもとちゅうりっぷ」の原作。

 1955年(昭和30年)ごろには作家活動は終わる。


 デビュー作は即映画化!
 少女誌のみならず少年誌、青年誌にまで執筆!!
 もしかすると自作がアニメ化された日本最初の作家かもしれない!!!

 余談ながら「くもとちゅうりっぷ」のアニメはその数年前に上映されたバンビを意識してるのではないかと思う。空気遠近法のぼやけた背景、雨の情景、映像と音楽の調和。少し似ている。事実はどうであれ製作者はカラーの長編を作れるディズニーの環境をうらやんだことだろう。

 ためしに昭和十年代生まれの女性二人に「横山美智子という名前を聞いたことがある?」と訊くと二人とも「そういえば聞いたことがある」と答えた。当時かなりの知名度はあったようだ。

 それではどれだけ面白い小説を書くのかと、代表作『嵐の小夜曲(セレナーデ)』を読んでみた。
おそろしくつまんねえ!
 ある一家の物置小屋に勝手に泊まりこんだどさまわりの旅芸人の失火で医者と旅館の二件の家が全焼。主人公は両家の二人の少女。火元はどちらかと両家の人間は疑心暗鬼。片方の医者の家では火災保険をかけてあるので犯人ではないかと噂になる。まもなく医者は心労で帰らぬ人となる。かくして一家は路頭に迷い、娘の音楽学校への進学の望みはなくなり故郷を離れることとなった。
結局、火災保険はおりたのか何も書いていない。
 作者はとにかく登場人物を不幸にしたいようだ。

 一方の旅館の主人は善行を働こうと旅館を再建せず孤児院を始めるが収入がないので孤児たちをかかえ行き詰まる。収入がないのだから行き詰まるのは孤児院の計画時点でわかるだろうが。でもすぐに建物を建てられたわりに行き詰まるのが早い。
作者はどうしても登場人物を不幸にしたいようだ。この一家の暮らしも苦しくなったが、親戚は老舗の旅館をつぶして孤児院を始めたことで頭がおかしくなったとみなし誰も助けてくれない。
 作中では親戚が冷たいとばかりの書き方だが、当然の反応だろう。
 ついでながら書くと、当時の流行ネタ「誘拐されてサーカスに売り飛ばされる話」もしっかり採り入れてます。

 登場人物は強引なまでに不幸一直線。『巨人の星』」も登場人物は不幸の泥沼状態だが、キャラが立ち、そのキャラたちのぶつかり合いがドラマとなり、感動(お笑い?)を呼ぶ。
 でも『嵐の小夜曲(セレナーデ)』は見事にキャラが立っていない。おかげで感情移入できないまま強引な展開の暗い不幸話を読むのできついこと。例外的に中途半端に意地悪な少女が主人公の兄をけしかけ川に落ちた犬を救わせて大ごとになってしまい泣き出すな展開にはリアリティーを感じた。でもほかのキャラは真面目でけなげで、そして無個性。最後は『家なき子』ばりにお金持ちが主人公たちを救ってくれるデウス・エクス・マキナ。読み終わったときにはこれでもう読まずにすむと安心したぐらいだ。
 横山美智子は小説のかたわら教育関係の本を書いているので、キャラをいい子にしか書けなかったのだろう。別にいい子がいけないのではないが、キャラがいい子なだけで無個性なので後の時代の読者には感情移入できないのだ。
 なお、セレナーデとは恋人や女性を称えるために演奏される曲なのに、この小説、全然セレナーデと関係ない。乗りで題名をつけたか、話を考える前に題名を決めたのだろう。

 本当につまらない話だが、この『嵐の小夜曲(セレナーデ)』の初出は昭和四〜五年の《少女の友》(実業之日本社)で、連載されるや人気を博したのだ。単行本として出版したのは実業之日本社ではなく大日本雄弁会講談社。単行本はベストセラーとなり、54版もの重版となった。実業之日本社の人間もしまったと思ったことだろう。
 のちの昭和57年のインタビューで(『夢をつむぐ』尾崎秀樹(ほつき))横山自身が「売れましたねえ。題名がよかったんでしょう」と述べている。
 さらには講談社のビルはこの本のおかげで建ったという話があったくらいなのだ。
 ただしこれは事実ではなく、冗談の域を出ないはずだ。実際「オバケのQ太郎」の売上で小学館のビル(オバQビル)が建ったときは、出版社、スポンサー、おもちゃ会社が一丸となってしかけた戦略によるもの。メディアミックスのない単行本の売上だけでビルを建てるのは無理な話。
 ちなみに少女倶楽部 昭和六年二月号には『嵐の小夜曲』のイメージソング(加藤まさを作曲)が載せられている。ただ楽譜が読めないのでどんな曲かわからないのが残念。そばには横山美智子の写真も載っている。ちなみに美人です。

 物語は多少とも時代の影響は受ける。山中峯太郎の『敵中横断三百里』にしても古臭いところはある。
だが凛とした文章、いつロシア軍と交戦してもおかしくない緊張感、あれだけの激戦を経て全員生還なるご都合主義はあれど名作たりうる作品だ。高垣眸の『豹(ジャガー)の眼』『龍神丸』も古くとも攻守入れ替わる目まぐるしい展開で読者を魅了している。少女物でも吉屋信子の『花物語』のエロティシズムと紙一重の耽美(お話より情緒に偏ってる)。川端康成の『乙女の港』にしても作者ならでは巧みな心理描写を駆使した横浜らしき港町にあるカトリックの女学校での三千子と洋子お姉さまとの甘く耽美な物語(そんな話とはつゆ知らず読んでいるうちにトリップしかけた)
 名作には古くとも相応の魅力や作家性がある。

 『嵐の小夜曲』に限らず横山美智子の作品の問題点はまさにその時代に合わせすぎ後の世から見ると古いだけの代物になっているところなのだ。そのうえ惹きつける作家性もないため、現役時代には人気を博しながらも後の世には忘れ去られてしまったのだ。

 ただし、昔も批判がなかったわけではない。村岡花子「少女文学について」(「書窓」第二巻・第四号 1936年(昭和11年)1月16日)にて、横山美智子の『朝のよろこび』が放送されたことを取り上げ「極めて安価なセンチメンタリズムの一言で尽きる」「結局、少女の感情といふものを、安価にみくびつてゐる」と名指しで批判している。
 横山作品には確かにその要素があるが、逆に見れば名指しで批判されるぐらいの知名度と人気もあった。
ここで取り上げた文だけを見ると声高に非難しているようだが、全体的には冷静な筆致であることを断っておく。
 なお村岡花子は今では新潮文庫の《赤毛のアン》シリーズの翻訳者として認知度は高い。
 この批判にたいし横山は特に反論はしていない。『長谷川時雨 人と生涯』(82/3/15ドメス出版)の「時雨の譜」によれば昭和31年の「時雨を偲ぶ会」には横山、村岡共に出席しているので、強い対立はなかったようだ。

 かくも人気を誇った横山の執筆活動も理由は不明だが昭和30年ごろには終わった。この手のパターンの少女小説も時代と共に人気がなくなり絶版(これは横山作品に限った話ではないが)。横山美智子は長生きし、亡くなったのは1986年(昭和61年)のこと。そのころには世間はかつての人気作家を忘れていた。

 なんでつまらない小説を書く過去の作家(関係者の方でこれを読んでいる人がいたらすみません)についてファンでもないのに取り上げたかと思うだろう。
 でも思い当たらないだろうか。現在のマンガに例えると最新のファッションや流行語を取り入れ、話も読者の要望に応えた作品を作ったとする。発表時には人気があったとしても、年月が過ぎてから見ると陳腐な話、古臭いファッションと死語だらけの代物になりかねない。
 作品は売れに売れ、映画化、アニメ化されたこともあるのに人気凋落や引退であっというまに忘れられてしまうところ。時代時代の読者の要望に答えようとして、後の時代の視点で見ると古臭く陳腐で読むにたえられなくなるエンターテイメントにありがちなところ。下手な人間が作るエンターテイメントが安価なセンチメンタリズム、安易なハッピーエンドになりがちになるところ。まるで今の作家、マンガ家のよう。人気商売のはかなさの先駆けが横山美智子なのだ。

 我ながら資料魔、リスト魔の自覚はある。それでもいくら雑誌で作品を散見しようが、ファンでもない作家の著作リストを作る気にはなれない。横山美智子も古典アニメ「くもとちゅうりっぷ」の原作者としてかろうじて名前は残るだろうが、全集が作られることはないだろう。まさに一炊の夢。江戸川乱歩のように死後すら大人物も少年物も読まれている作家のほうが珍しいくらいだ。


《追記》  デビュー作『緑の地平線』のあらすじをみつけたが、さわやかな題名とは裏腹にどろどろした話だった。読むと憂鬱になりそうな内容だ。
http://www.bbbn.jp/~eiga2000/midori.html


《追記2》  『よい子強い子』のなかの「くもとちゅうりっぷ」を読んだが、原作はわずか一ページ半のそっけないもの。アニメ「くもとちゅうりっぷ」の詩情ある世界は監督、脚本、作画によるところが大きい。関係者も原作にほれ込んだのではなく、イメージを膨らませやすかったため原作を利用したようだ。

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