水滸伝の疑問


個人のホームページっていうのはBBSでもなければ情報を発表するのが普通なんですけど タイトル通りわからない水滸伝の疑問を書き連ねてますので、なさけないのですがご存知の 人がいたら情報を




001欠身とは
002馬の歩行法
003林沖が鎌を持った理由
004了事環の構造
005万歳爺
006王の自称
007子母砲、金輪砲、風火砲、連珠砲、車箱砲の形
008兜をかぶるとき髪はほどくのか
009喪服・宦官の服装
010マニ教の階級
011米の調理法
012兵卒の鎧
013馬はわらじか蹄鉄か
014滾刀とは
015朴刀とは
016凌遅(寸刻み)とは
017求む満映版水滸伝
018風流天子の名称


001 欠身とは

水滸伝第二回に「棟達在馬上看着史進欠身施礼」とあるけど、 この欠身とは駒田版水滸伝の解説では「上体をそらせて姿勢を正 すことによって礼とする」とあります。
この解説ではふんぞり返ってるようで礼には思えないのですが、 欠身の映像資料はないでしょうか


002 馬の歩行法

宋代の馬の歩行法は、右の前後の足を同時に蹴りだし次に左の前後の足を 同時に蹴り出す即対歩でしょうか。それとも足は馬によってバラバラなのか
第一、宋代の人の歩き方もわからないし。ちなみに日本人は江戸時代以前は左右の 手足をそろえて歩く「なんば」歩きが普通だったし。


003 林沖が鎌を持った理由

水滸伝第十回で酒を買いに馬草小屋を出た林沖が鎌を持った理由がわかりません。

手元の水滸全伝には林沖が手にしたのは「鑰匙」とありました。鑰匙とは鍵のこと。誤訳か?(お〜い)
ちなみに俺の持ってる訳本は平凡社の奇書シリーズの水滸伝。


004 了事環の構造

了事環とは「鞍についてる武具を掛ける輪」と解説があり、 花栄がよく槍を了事環に掛けて弓矢に持ち替えてるけど 槍を縦に了事環へ差し込むのなら馬の脚に絡んで邪魔になりそうだし、 横に差し込み槍を地面と水平にするにしても、了事環からすっぽぬけ ないようストッパーが必要と思うけど、了事環の構造はどうなってる んでしょう。


005 万歳爺

万歳爺とは皇帝のこと。このぐらいなら水滸伝ファンで知っている 人も多いでしょう。なんでも宦官が使った文句で日本で言う女房言葉 にあたり明清には使われていたみたい(たぶん)。で宋代には使われて たんでしょうか?

万歳爺は明代から使われた宦官の言葉。宋代は使っていなかった。唐代では宦官は皇帝を大家と呼んだので、宋代も同じか。


006 王の自称

皇帝の自称は「朕」。王の謙称は「孤」。でも王の普段の自称は?
水滸伝代一回で出てきた端王様ったら自分のことを何も言わず高きゅうを つかまえておまえよばわりしてるだけだし。


007 子母砲、金輪砲、風火砲、連珠砲、車箱砲の形

これは『水滸伝人物事典』におせわになりました。
子母砲と連珠砲は同じ物とのこと。実は長いこと子母砲は仏蘭機(フランキ:火砲の一種) と思ってた。というのは仏蘭機に子砲、母砲とよばれる部分があるうえ、 『三宝太監下西洋通俗演義』(西遊記のパクリ だらけの腐れ小説。1200ページもあるものをつまらんと思いながら最後 まで読んでしまった自分をほめてやりたい)に仏蘭機が登場するので 火砲としてメジャーな存在であるから。
ところが犬大将さんからの指摘によれば水滸伝の説明で「母砲の周りを四十九門の 子砲がとりまいている」とあり、号砲として使われし、武備志に出てくる「子母銃」 が近いと判断したとありました。こうなるとこちらが考えを変える必要がります。
また金輪砲は二説あり、一つは小型の車輪をつけ移動しやすくした小口径の砲。 もう一つが多数の小口径の砲を放射状にならべ一発撃つごとに回転させ次の砲を 撃つことで速射性を高めたもの。(『水滸伝人物事典』は後説を採ったようです)
しかしです現代の拳銃でも撃針がやわだと安全装置を掛けていても地面に落 とした衝撃で暴発することがあるらしく、昔の火縄銃はもっと不安定で冷房が ガンガンにきいたテレビ局のスタジオでは引き金を引いて発射するまでに五秒も かかったり、冷え切っても湿気のない雪山では引くと同時に発射するなど条件で 差が出過ぎます。
小口径の砲を放射状にした場合、衝撃で射手の方を向く火砲が発射する可能性もあり 危なっかしくて使いたくないよ。でも、もし中国の博物館などで復元ではなく多数の 小口径の砲を放射状にならべた実物を見た人がいれば教えてください。
で、最後の車箱砲。水滸伝八十三回の終わりに出てきたけどどういうものでしょう?


008 兜をかぶるとき髪はほどくのか

ザンバラ髪を「落ち武者みたいな髪型」というけど、兜をかぶるときは まげが邪魔になるためほどいてかぶるので落ち武者専用の髪型ではない。 とすると中国でも兜をかぶるときは髪を結んだ饅頭の部分をほどくのでしょうか?


009 喪服・宦官の服装

喪服ってのが形もわからないし、そもそも仕事で外に出るときでも 着るものなのか、家のなかだけで着るものかもわかりません。「三年の喪」という けど果たして三年間、喪服を着つづけるってことなんでしょうか?
宦官については、戦前の北京でもと宦官に会った人から聞いた話では 一般の役人と同じ服装とのこと。でも宋代はどうなんでしょう?


010 マニ教の階級

方臘の乱では、方臘自身がマニ教徒でマニ教の勢力が支えと なったといい、外部の人間がつけたマニ教の階級が魔王・魔頭・魔母。 水滸伝の鄭魔君のモデルか方臘側に鄭魔王というのがいる。
でここからが問題なのですが、「白鳥博士還歴記念東洋史論叢」の 「敦煌發見『摩尼光佛ヘ法儀略』に見えたる二三の言語に就いて」 (1925年 石田幹之助)では僧と信者を含めた教徒の5階級が、
1.十二慕闍 2. 七十二薩波塞 3. 三百六十黙奚悉徳 4. 阿羅緩 5. 耨沙ロ彦
1.承法教道者 2. 伝法者/払多誕 3. 法堂主 4. 一切純善人 5. 一切浄信聴者
上が音訳、下が意訳。
とあり魔王・魔頭・魔母とどう対応してるのかわかりません。 またマニ教が弾圧されたため仏教や道教を装ったとあるけど、
東洋史研究 32 -4「方臘の亂と喫菜事魔」(竺沙雅章 1974)には 樓鑰『攻女鬼集』(注:女鬼で一字)七十三によれば方臘の武将洪載の隊は百余人で数隻の船に乗り 絳帛をはちまきにし、そのうえに鏡をつけ鉦鼓を乱打したとありあり はたしてマニ教の儀式と関係があるのでしょうか


011 米の調理法

ズバリ水滸伝の米の炊き方は?
「湯取り法」大量の水で煮て噴くとおねばの水を捨て弱火で蒸す
「二度飯」湯取り法の変形で熱湯で米を茹で上げてから蒸篭で蒸す
「炊干し」日本の炊き方
はたして上の方法のどれかか。まったく別の方法でしょうか?


012 兵卒の鎧

将軍クラスの鎧は絵図で見るけど兵卒の鎧がわかりません。教えてください。


013 馬はわらじか蹄鉄か

タイトルのままですけど、馬はわらじでしょうか蹄鉄しょうか


014 滾刀とは

水滸伝四十一回馬麟初登場のときの紹介で、大きな滾刀を振りまわすとあり、 五十五回でも呼延灼の梁山泊攻めの準備する武器に滾刀があるけど。滾刀ってなんでしょう
小学館の日中辞典には滾刀が歯車を刻む特殊な刃物とあるけど、もちろん水滸伝 の滾刀とは別物だろうし、駒田版水滸伝の解説では大刀、朴刀のことらしい。 皇帝直々の命で呼延灼が準備するのだから民間でよく使われる朴刀より大刀の ような気がするけど。


015 朴刀とは

日本にも朴刀と似た発想の長巻という武器がありますが、古流武術の宗家に 聞くと長巻の説明で「刀を長柄に取りつけたもの」とあるが、普通の刀を長柄に つけて使うと長柄の遠心力で刀が折れかないので長巻専用にわざとなまくらにし た刀を使うが、刀屋でもそのことをしらず長巻を見てなまくらだと貶していたとのこと
その話を聞いて朴刀もなまくらであっても長柄の遠心力でそこそこの切れ味はあ ると思っていたら、犬大将さんより重大な指摘を受けました。なんでも白木直也 さんの論文では水滸伝中で朴刀で殺すときはきまって突いてる、また民間での所有 を禁じられてないところから、朴刀は単なる鉄板で刃がついてないと推測するとのこと。
俺を含めてみんな実物を見ないから推測の域をでない(怠惰とはいわないでくれ) 中国で実物を見て朴刀に刃がついてないかどうか確かめたいけど、民間の武器であり 正式な規格がなく文献や絵、写真でもでも柄の長さが刃の1〜4倍とばらつきがあり、 大刀と朴刀の境界もあいまい。だから朴刀が刃の無いものだとしても必ず刃のある 例外があるはず。実物を二十振りは見ないと結論を出せない。


016 凌遅(寸刻み)とは

「刑政」64-2の「中国刑罰叢談」(瀧川政次郎,1953)によれば、凌遅は宋刑統、 明清の刑法になく民間で行われていたもの。
(ただし別の資料では明の洪武帝が政治に口出しした宦官は凌遅に処すと定めたとあるので 宮中でもあったようだが)
この図で気になるのは罪人をつるす三脚があまりに細いこと。死に物狂いの力でも がけば壊れそうだし、おとなしくしてたら殺されるのだから「動くと殺すぞ」とい う脅しも効かない。ちなみに時代劇にたまに出る磔の太い柱ですらただ土に埋めただけ では罪人が暴れるとぐらつくので、対策として柱を土中に3尺埋め、その3尺の部分に 6尺の横木を取りつけている。
もし三脚が金属製ならまた話はちがうんですけどどうなんでしょう。

右の写真は『拷問刑罰史』名和弓雄(雄山閣)より、強盗の手引きして主人を殺害した質屋の小僧。明治2年横浜にて。


017 求む満映版水滸伝

満州映画協会「花和尚魯智深」「豹子頭林冲」「燕青と李師師」ずっと探して ます
製作年度昭和17年。「燕青と李師師」は18年。多分最古の水滸伝映画だと思い ます。
テンシャープよりロシアに保管されてた満映作品の復刻が出ましたがそのなかにも 含まれてません。
(情報は山口猛『幻のキネマ 満映』(平凡社)1989年より得ました)


018 風流天子の名称

徽宗皇帝は風流天子として通ってますが、この「風流天子」という語は 大漢和辞典にもありませんが日本でだけ使われてるのでしょうか
もし中国でも使われてるなら、徽宗在位のころから使われてるのでしょうか

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